ピアノ講師 野間先生に、ご自身の音楽体験の思い出について語っていただきました。
はじめてピアノに触れたのは
3歳に母がピアノ教室をやっていたのですが、親子では甘えが出てしまうのではということで敢えて外のピアノ先生の個人レッスンに通っていました。
私の先生は日本のコンクールを受けさせるのに反対の先生だったため、コンクール向けのレッスンではなく、ピアノの構造、脱力、タッチ、ピアノの鍵盤の打鍵力等にこだわりを持って教えてくれる先生で、時には曲の一小節だけで六時間もかけるようなこともありました。
東京音大からモスクワに
東京音大時代には、練習に励むかたわらピアノの表現力をより豊かにする為に美術館等に通い美的感覚を磨いていました。当時の音大の先生に「私は教えることはありませんので、よりいい先生につくべき」とおっしゃっていただき、かねてから興味があったラフマニノフ、プロコフィエフを輩出したロシア・モスクワに渡りました。
プロコフィエフ、ラフマニノフ等ロシアの作曲家のつくる曲の音楽の展開、ハーモニーの移り変わりに大きな魅力を感じていたからです。
モスクワ音楽院の音楽学生寮で生活を送ることになったわけですが、ロシアの国を挙げて音楽に対する熱意が本当に凄いということを改めて痛感しました。人をかきわけてでも自分が這い上がるという音楽文化、音楽大国ロシアの音楽精神に大きな刺激を受たものです。
ロシアのボリシオホール(大ホール)等で演奏を行ったものですが、日本と違って天井が高く響きが全く違ったことも印象的でした。ロシア独特の天井の高さのため、ハーモニーがうまく溶け込むペダリングが存在します。ロシア流のぺダリングを徹底して学んだ時期でもありました。
バレエ団との共演
帰国後はロシア人のインターナショナルバレエ団、東京バレエ団のピアニスト等を経験。それぞれによって求められる音楽・音色が異なるの、でいい意味で融通をきかせる、適応させることの難しさを学びました。
他にもミュージカル・オペラ・室内楽・弦楽器などありとあらゆる楽器の伴奏を行いました。ミュージカル、オペラ、バレエなどは多人数でやるものなので人間関係の難しさもありました。
伴奏する時の主役とのバランスを常に考えていなければなりませんが、普段ピアニストは孤独なため、芸術的にハーモニーが完成した時のその分の喜びもひとしおでしたね。